花の寺めぐり第四番札所
〒319-2401茨城県常陸大宮市上小瀬2247TEL:0295-56-2517
平成七年、国立歴史民俗博物館の濱島正士先生の調査で、「当地方では、数少ない臨済宗寺院の方丈型本堂の特色をよく示し、御朱印降賜の時の建立で、大変貴重である。」と認められた県北最大の佛堂である。
禅宗様式(唐様)の佛殿で、慶安元年三代将軍徳川家光公よりご朱印降賜の時の建立、本県内で貴重な佛殿である。堂内に釈迦如来が安置されています。2018年12月佛殿修復工事完成
平成四年に建立され、檀家以外にも広く利用されています。四月には木蓮の花が咲き乱れます。
平成十六年に建立され、大銀杏に見守られながら参内者を導きます。
樹齢四百八十年と判定され昭和五十一年緒川村指定の天然記念物となりました。平成八年には県緑化推進委員会より、茨城の名木・巨樹百選にも選ばれています。現在は常陸大宮市指定天然記念物です。
勝軍地蔵堂と共に境内西側山上に設けられていた鐘楼は、幕末の動乱時に大砲として鋳潰されて以来、再建はされなかったが、平成元年に境内東側に再建されました。
室町時代に祭祀され、その後、時代の流れの中で風化していたものを平成十六年に浄財を募り再建されました。
室町時代中期から戦国時代に移る頃の作風とされ、水戸光圀公寄進の古作地蔵菩薩として市の有形文化財に指定されています。
応永元年(1394)、小瀬三郎義春を化身佛として尊崇し、西側山上に祭祀したのが始まりです。往時は石段二百通を築き大鐘楼が設けられていたと「水戸藩開基帳」に記録されています。鐘楼の釣鐘は、水戸藩の尊王攘夷運動により、大砲に鋳潰されて礎石を残すのみとなっている。明治維新後の神仏分離令により、一時期、「愛宕神社」となり、神社庁の管轄となったが、大正時代に当寺に復帰した。
山内左手下の水田から四段の本丸土塁跡を見ることができます。かつてこの地に小瀬一族の居館であったことを示しています。
元禄五年、水戸光圀公が江畔寺に二泊三日で宿泊参詣に来山し、門前の清流で斎戒沐浴をした。以来その場は御留渕と呼ばれ一般の立入が禁止されました。
男体山の中腹にあり、通説では文化6年(1809年)造立とされています、数多くの観音像が山中に点在していることから、百観音といわれています。
佐竹氏の重臣、山方能登守の居城跡に往事の姿を再現して建てられた。
8~9世紀の横穴墓による古墳群。
本橋次左衛門は、天災と地租に苦しむ農民の窮状を救うべく、明治9年(1876)小瀬一揆を起こした。
水戸黄門が、奥女中の紙の無駄使いを戒めるため、厳寒の小瀬川紙すき場を見せその労苦を忍ばせた。